Cambodia International Film Festival 2011
2011年12月14日〜18日にカンボジア、プノンペンで開催されたカンボジア国際映画祭(Cambodia International Film Festival 2011)にボクの作品Cambodian Taxi Driverが招待されたので出席してきました。ご存じの通りボクの作品は映画じゃないんですが、カンボジアを描いた作品であること、シーンごとのアートワークが美しいのでカンボジアプレミアにしたい、ということでの招待でした。Cambodia Film Commissionのセドリックさん、ソフィアさんありがとうございました。
12/14にプノンペンのChaktomuk Theaterで行われたオープニングセレモニー。日本アピールの和装でレッドカーペットを歩き、ホール内へ。300人くらい居たかな?国のエライ人の開会の言葉、アプサラダンス、伝統的な影絵スバエクトムの実演と続いて、壇上に呼ばれスピーチ。通訳のヴィサールの意向で用意した英語原稿は読まず日本語とクメール語という微妙な感じで本意が伝わらずだったかもしれません。不慣れな状況で言葉も微妙な場面での臨機応変な対応ができるようになりたいものです。そしてCambodian Taxi Driverをオープニング作品として上映。かなり感激…したのですが、画面比率が違うとか音が悪いとかで残念。わざわざBlu-ray焼いて事前に送ったのですけどね。その後はセレブリティな方々と写真を撮って頂いたり、バーエリアでお話ししたり。BBCのエライ人とかドイツの教授とかクメール人の俳優とか、なんだかおもしろい出会いでした。
12/17には朝からBophana CenterというCFCの施設でワークショップの時間を用意していただき、30人くらいだったかな、クメールの若者やヨーロピアンと作品を観て、ディスカッションを行いました。せっかくなのでその時の資料をアップしておきます。かなり良いポイントを突いた質問が多く、頭で整理しながらの回答になりましたが、ちょうど日本に留学経験のある若者が丁寧に通訳してくれて、繊細なニュアンスの内容も伝えることができたように思います。あまりガツガツ突っ込んでくる人は居らず、ここでも穏やかな国民性を感じました。こちらではDVDの販売もさせて頂けました。
15日16日と、この資料づくりに大半を奪われ、映画祭招待作品はほとんど観ることができず…。まず困ったのは翻訳資料。現地の翻訳会社に日本語からクメール語への即日翻訳を依頼。できたページの原稿からすぐKeynoteに入れていく作業。UTF-8対応のクメールフォントがなかなか見つからなかったり、USBメモリでデータをやりとりするたびにノートン先生がウイルス駆除したり。平行して英語原稿の作成。雰囲気だけ伝われば十分としよう…。その後の出力もまたひと苦労。カラーレーザーがかなり高額で、インクジェットを選択。ワークショップ当日の朝方までかかってプリントしてもらいました。
18日にFrench InstituteのLe cinémaで行われたクロージングセレモニー。上映されたDancing Across Bordersだけは唯一観ることができた映画でした。2000年に監督がカンボジアで出会った16歳のクメール人ダンサーがアメリカのダンススタジオで活躍するまでを描くドキュメンタリーでした。
実はプノンペンに行ったのは初めてで、治安が悪いとかなんとか聞かされてましたが、やっぱりカンボジアンスタイルのんびりとした都市でした。川沿いのエリアは王宮を中心に幹線道路が比較的整然と整備され、フランス植民地時代の名残ある建造物も多く見受けられました。そのせいかオシャレなレストランやバーも数多く、旅行者に見える大半はヨーロピアン。自分含め東洋人はほとんどおらず。カジノがある大きなホテルにはどこからともなく中国人が集結してたな…。
プノンペンのホテルと言えばやはり歴史のあるコロニアルホテル、ラッフルズ レ ロワイヤルに泊まりたいところですがそんな予算もないので映画祭会場近くの
Frangipani Fine Arts Hotelに宿泊。新しくてオシャレで清潔。朝食がしょぼいとフロントに難癖付けてるフランス女子が居ましたが、確かにアメリカンブレックファストだったんでアジアな雰囲気は皆無。けどまぁ、アジア料理食べるなら外にいくらでもあるので特に気にならず。長期滞在らしいフランス系の老紳士が毎朝、オープンテラスで新聞を広げコーヒーを飲む姿がとても絵になる、また行ってみたいホテルでした。
市街中心地を一歩路地に入ると旧香港市街や上海の里弄を思い起こす生活感溢れるマンションが建ち並び、特に夜は薄暗い壁にネオンの色が反射し魔の巣窟のよう。深夜特急に描かれた東南アジアの艶めかしくディープな記憶の色はここプノンペンが一番ピッタリ来るように感じました。
クロージングセレモニー後おみやげ散策して空港へ。スケジューラーの時差設定がずれてたようでバンコク行きのBangkok Airways便に乗り遅れ…。当日便がもう無くて焦りましたが、いつもガイドをお願いしてるヴィサールがここでもかなり活躍してくれて助かりました。時間のない中、ネイティブ同士での交渉は早い早い。20分後発のThai Airwaysでバンコクへ。ところがこの便が遅延したもんであの広い広いスワンナプームを激走して羽田便のゲートに着いた時にはもう離陸後…。結局翌日便になるしかないかと絶望しかけたところ、遅延もあったので1時間後の成田便に振り替えてくれるとのこと。かなりの綱渡りフライトで無事日本に到着。フライト時刻はちゃんとチェックしようと思いましたよ。