カンボジア2007.12.14〜21テーマ編
カンボジアの豊かさ
カンボジアの食生活は豊かだ。農村の米は年に三回も四回も穫れる。メコン川やトンレサップ湖には魚介類が溢れる。家畜や獣はもちろん、蛇でも虫でも食べる。村では自宅で蒸留酒やパームビールを造る。庭に成った椰子の実をジュース代わりに振る舞う。市場には新鮮な食材が大量に並び、朝から晩まで老若男女でごったがえす。
ポルポト政権時代には隣国に難民が散った。政権は貨幣を廃止し、社会インフラを全て破壊し、家族を破壊し、教育を破壊し、結果、食文化も破壊した。当時、処刑者、餓死者や病死者を合わせた犠牲者は百三十万人以上と言われる。あの頃、日本では募金を募るCMが盛んに流れた。だから、貧困な国だと強く意識化に刷り込まれた。
確かに現在でもGDPひとりあたり454ドル(2005年)と日本の75分の1(日本は34,181ドル(2005年))ほどの経済規模にしか見えてこない。しかしこの国の食料自給力はほぼ100%。日本ではお金がないと食料が手に入らないが、カンボジアでは都会以外は物々交換の場合もあり、貨幣経済では換算できない価値が存在する。お酒に見る自給力の低さ(21.3%)も前述したように一歩農村に入れば自宅で造っているから、カウントすらされていないだろう。ただ、年10%以上の急激な貨幣経済成長が今後もたらす影響は、おそらく都市部と農村部の貧富差を強め、現状の政治力では手に負えない状態になっていくかもしれない。
カンボジアの人々
カンボジアは人々の心も豊かだ。敬虔な仏教徒の国。人々の慈悲の心にはたびたび驚かされる。ローカルな食堂や屋台ではたびたびおかずのサービスを受ける。隣に座った学生グループに酒を注がれる。土産物屋の子どもがガムをくれる。
夕刻、撮影スポットを探して湖の広がる田舎道に。バイクタクシーでうろうろしていると「ご飯食べていくかい?」「もうすぐ出来るから待ってな」「このエビ持って行きなさいよ」などと、バラック小屋に住む見ず知らずの家族があちこちから手を振り声を掛けてくる。とても人に施しを与えている場合じゃない家構えや風体でも、旅人をもてなす精神は忘れない。そして皆、笑顔だ。
子どもたちは屈託のない笑顔でレンズを覗く。女性は皆恥ずかしそうに笑う。男性は皆おどけて強さより楽しさを表現する。老人は皆とても謙虚に微笑む。会った誰しもが幸福に感じる様々な笑顔。
そして
前回の撮影旅行を振り返り、この国にもう一度興味を持った。おおらかで優しく時に厳しい、強い人々を育む大地。深い深い歴史を背負って生きる、純朴な人々。
数百年前からある遺跡は、この土地と人々無くしては存在し得ない。その遺跡の今と、共に生きる人々と、とりまく環境を写したい。人々の生活に入り込み、多くの人々と接し、今のカンボジアを写したい。
いつも思い出す、笑顔と笑い声。写真に写るかわいらしい少女は大きくなっただろうか。この老婦人は元気にしているだろうか。食堂の客引きだった少年はちゃんと学校に通っているだろうか。ベトナム人のスイーツ売りの婦人はまだ居るだろうか。
皆、二年も経って覚えていないかもしれない。でも、プリントとフォトスタンドを持って行こう。まずは皆と巡り会った土地をもう一度訪ねて、再訪したこと、あなたの住むカンボジアが好きですということを伝えよう。
そんな想いで、旅立った。