Shanghai Plats
北京オリンピックの開幕と時を同じくして過ごした上海での十日間。至る所バナーで溢れる街を往く人からオリンピックの盛り上がりは感じない。特に変わらない毎日。朝の公園には多くの人が集まり太極拳やダンスに興じる。夜のレストランには食事と会話を愉しむ人で溢れ、壁にメダル獲得の予想表が貼られた店内で放映される中継映像には目もくれない。日中戦の女子サッカーを見守る我々は、勝利したことに恐々としながら店内を出る。ホテルに帰りテレビを付ける。連日放映されるオリンピック番組の合間には中国を讃える数々の映像が差し込まれる。スポーツで国家一丸とアピールする姿勢は日本のテレビと変わりない。
過去、日本で見てきたオリンピックを振り返ると、テレビと知人との会話とで喜びや嘆きを共有し感じ得ていた。街からオリンピック然としたなにかを感じることはなく、映像と言葉による脳内興奮を得ていた。ただ、2002年の日韓共催ワールドカップでは、自国開催のお祭りムードと強い代表チームへの期待から、全身で沸々とした盛り上がりを感じた。自国開催が盛り上がりの要因だとすれば、この上海ではまるで他国のオリンピックを見ているようだ。それは言葉が不自由で脳内興奮を得られない分、自分だけがさらっと感じたものなのかもしれない。
上海地図<Shanghai Plats>と名付けた今回の作品は、いつもどおり、街や人、生活を記憶の色に残すことがテーマであり、たまたま訪れたオリンピックが時代の符号として写っている。今という時代を写真に残す中から見えてくる、発展する経済と刻々と変化する街。上海は2010年の万博に向けて、すさまじい勢いで都市開発が行われている。この街や人々の生活はどのように変化していくだろうか。朝の食事を豊かなものにする露天の肉まん屋。街角で夕涼みをするおばあちゃん。出稼ぎでおみやげを売る家族。数々の歴史ある道々。皆どこに行くのだろうか。開発の裏で失うもの。それは、それが新しい日常になってしまうことで忘れ去られるだろう。しかし、古くから残る全ては今を形成する為に存在した大いなる遺産であって、それ無しには成し得なかったこの大都会上海の「今」を見た記憶として残しておきたい。
再び上海を訪れた時、新しい地図にはこの写真をプロットできるだろうか。